日記-19
我々は文明に甘やかされた子供だと気づきを得る。故に、文明から自立し、文明を利器として扱える様になった者を、大人と呼ぶ。
淘汰されるべき馬鹿はいなくなった。喜ばしい。人死にが減るのは快い。流れの終着点を見ずに済む。野垂れ死んだ体など不快である。
代わりに、賢人も少なくなった。文明に飼い殺される人間が、今や一般である。
不可思議な進化であること!人間は進化を早めるあまり、精神の発達を文明の発達が追い越してしまった。
最早文明を人が扱うには、熟達した精神を持たねばならない。それほどまでの技術に発展した。
だからこそ、死なない馬鹿と器用な賢人の差が明確になる。
多くのものがまだ子どもである。大人にならねばならない。
文明に飼い殺される側から、文明を扱う側にならねばならない。
頭を使わなければならないのだ。それが人の生きる道であるから。
さて、初めて手紙を書く行為をした。
不思議なもので、書くと決めていたことよりも、さらさらと、次の文章が浮かんでくる。
手紙の魔力、とでも言うべきであろうか。キーボードではなかった感触である。ペンを握り、紙に書くからこその頭の働きである。
とてもよろしい。やはりアナログに生きる人間であると再確認させられた。
日記-18
代わり映えのない日々である。覚悟を決めたとてすぐ変わるわけではない。人が変わるには、長い時間を要すると知る。
何も書くことがないので、淡々と綴る。
今日は外で絵を描いた。スケッチの腕を磨きたい。
定期的にやりたいが、日差しに苛まれる。
全く嫌な話である。寒さであれば幾分がマシだったものを。
日記-17
絵を再開した。これまで学んでいなかった分野の勉強もせねばならないと感じつつ。
憧れの画家が一人増えた。ゴッホである。精神を見習うべき画家と言える。私は凡人であるから、狂気を持って天才を制しなければならないと思う。
思えば幼い頃はより狂気じみてはいなかったか。私の人格はより無難な方へと固められていったようである。それではいけない。新しさではなくもう一つを追い求めるべきなのであるから。
ただのめり込む時間が必要である。幸い、時間ならまだある。機会ならまだある。豊富にある。これでもかというほどに。
全てを利用する姿勢で挑むべきである。生活を芸術にしなければならないのだから、正当な精神性では行えない。狂わなければいけない。狂気に囚われなければ。
日記-16
己を見つめ直すのも大事である。纏まった休みが取れたなら、瞑想に耽ってみようと思う。
やはり私の生活には流れが重要であると感ぜられた1日であった。停滞は何も生まない。常に流れてなければいけない。美しい流れの中で、その流れを描く事こそが、私の芸術であるのだと思う。
では、どうやって描けば良いのだろう。この部分だけは蔑ろにしてはいけない。あらゆるものには手段がついて回るが、時に結果より優先されるものでさえある。
結果が伴っても、手段が綺麗でなければ私の芸術ではない。芸術を志すのであるから、生き様から綺麗でなければならぬ。洗練された退廃こそが耽美である。美に耽ってこその我が生である。
日記-15
多動症の賜物であろうか、今日は兎角落ち着かない日であった。
体の芯から熱いのは初めてではない。が、久々の感覚であった。
何も手につかないから、学業に苦悩する。これがあるからこの体は不幸である。度々不幸と幸を行き来する生である。つまらなくはないが、面白くもない。
食事を見ただけで吐き気がするのは重体であるから、治さねばならない。いつ治る保証もないし、絵についての無気力も以前続いている。
描かなければならないとは解っているが、描きたくもないのに描いては美徳に反する。
ただ、感性のみに従う心持ちを強くした。理論は二の次である。表現したいことを先に立たせるべきであるから。
しかし、表現のために理論が必要なのもまた事実である。
努力家の友に倣い、歩まねばならないのであろうが。
日記-14
虚無感に苛まれる日々である。
一体何のために生きているのか、今だに検討もつかぬ。何をしたいのであろう。私は何故に生きていくのだろう。全てを見失いつつある現状である。
なので、生きることが苦痛に感ぜられる。惜しむらくは友と会えなくなることのみである。柵さえなければ、もとよりこの世に未練は無い。
いっそ狂ってしまえたら楽なのであろう。だが私はゴッホにはなれぬ。或いはなれるのかもしれないが、それには多大な気苦労を要する。
自らの性質を曲げることこそ困難なことも無いであろうから、狂気を手にするのもまた困難の道である。
どこに道標があるのか、見失ったので、また探す必要に駆られる。絵も描きたくない。文も書きたくない。ならば何をしたいのだろう。
全てまっさらに消えた。私の生きる道をどこに定めたら良いのであろう。
迷い道こそが人生であるから、迷いながら生きるのだ。
本日作成した絵である。
日記-13
無意味な時間を過ごした日であった。徹頭徹尾、無為であった。
であると同時に、心の折れた日でもあった。理由は検討もつかぬ。日々の積み重ねであるのかもしれぬ。
努力の出来ない屑のような男は廃屋で野垂れ死ぬのがいい。私もそれを望む。最も、小説に出て来る美丈夫のような見た目ではないから、絵にすらならないかも知れないが。
兎角この世は思い通りには行かぬ。生まれた時から定められていたならば、もっと早くに命を絶つべきであったと思う。
自分を常々呪うのみである。世界は好転せず。